親と絶縁した話
父親とは20代前半から会っていない。
最後に話しはしたけど、これはもう期待するだけ無駄だと悟ったので一切関わらないようにすることだけ決めた。
父親自体がASDの様なところがあり、昔からまともなコミュニケーションが無かったし年相応の振る舞いを見たことがない。親としての態度や振る舞いを求めても無駄だと思った。
社会に出て、色々な人間を見るたびに、自分の両親がいかにおかしいかというのが良く分かった。二人の言動を思い出すと明らかに年不相応でおかしいものばかりだったし、常に人をバカにする雰囲気があった。
母親とも今年始めぐらいに、これが最後と思って話をして、そこからはもう関わってない。
今後も、もう関わるつもりもないので実質両親とは絶縁している。
母親の方は年を取ってから多少まともになった感じはあったけど、結局自分のことしか考えず、人に自分の考えを押し付けるところや、人の話をまともに聞こうとしないところは変わっていなかった。
このまま年をとって、この二人を介護するなり、老後の世話をしたいかと考えた時に、全くそうしたいとは思えなかった。
学費を払ったり、生活させてくれたことに関しては感謝すべきなんだろう。ただ嫌な思い出や辛い思い出が多すぎる。
二人と「まともに対話できた」と思えるような記憶が一切無いし、物心ついてから、家庭で楽しかった記憶がほとんど無い。
物理的には親かもしれない。ただあの二人は本当の意味で私の親なのだろうか?私の育った環境は家族らしい人間関係があったか?
ハードな虐待やネグレクトがあったわけではない。でも親になるなら、もっと関わり方とか色々やりようがあっただろという事を考え始めると許せない気持ちや怒り、悲しみが湧いてくる。
前にYoutubeで、親に虐待を受けた経験のある人が、「調子のいいときは許せる気持ちになるけど、そうでない時は怒りや悲しみが湧いてくる」というようなことを言っていたが、まさに同じような感じだ。
もっと年を取って記憶が薄れれば何も思わなくなる日が来るのかもしれない。ただその時にはもう両親は亡くなっているだろう。
家庭にそこまで問題がなかった人達みたいに、普通の家族関係がほしかったと言う意味で、まともな家族関係を築きたかったという気持ちはあるけれど、二人にたいしての個人的な後悔みたいなものは全く感じない。
人間年を取ると自分の考え方を変えたり反省することがだんだんと難しくなってくる。両親についてはもう自身の考えや行いを振り替えって反省することはできないだろう。
逆に私自身も考えが変わることは、この先そうそう無いように思う。ましてや辛かった過去は変わらない。
結局、私自身も大人になってしまっているし、向こうも年が年。もはや自分自身の内面の問題で、実際に本人たちとやり取りしてどうこうする意味もないだろう。
悲しいけど親も環境も選んで生まれてこれないのは仕方のないことだ。
そもそも生まれてくるかどうかの選択肢すらないのだから。